自己紹介

初回公開日:2019年8月1日 最終更新日:2021年2月20日

『くれログ – 長野県佐久市で移住生活』にアクセスいただきありがとうございます。
このブログを運営している呉(くれ)と申します。

今回が3回目の自己紹介となりますが、その理由は後ほど。

恐らく、いまこのブログを見て頂いている方は下記いずれかに該当するのではないかと思います。

  • 地方への移住を検討している
  • 長野県への移住を検討している
  • 佐久市への移住を検討している
  • すでに佐久市または長野県に住んでいる

その中でも、特に「移住を検討している」という方にとって少しでも役に立つ情報を発信できるように心がけています。

ブログ開設の経緯

このブログは2019年8月に開設しました。

長野県佐久市をテーマにしていますが、実際に佐久市への移住が実現したのは2021年2月16日です。

移住するだいぶ前からブログを開設して記事を書いていたのは大きく2つの理由があります。

1、自分自身の記録を残しておくため

記憶に残りやすい出来事は良いですが、「その時点で何を考えていたか」「どんな思いを抱いていたか」という気持ちの部分というのは記憶に残りづらいものです。

自分自身の心の変化、あるいは変わらない想いといった感情も含めて記録に残すために、あえて移住する前の準備段階からこのブログを立ち上げることを決めました。

このブログで自己紹介を書くのは3回目です。
1回目は開設してまもなく。
2回目は移住を決断したとき。
3回目の今回は移住した後。

それぞれに違った想いがあったので、分けることにしました。

そして、こういった要素は移住した後も全く同じことだと考えています。
たとえ移住が完了して場所は変わらないとしても、その時々によって感情が変わるのは間違いありません。

ちなみにブログ名の由来はシンプルに「くれのブログ」だから「クレログ」です。
正直名前にこだわりはありません(笑)
それ以上に中身が重要だと考えているのでご了承ください。

2、移住を検討している方の一助となるため

移住に向けて具体的にどんな行動をしたのか、あるいは実際にどんな手続きをしたのか、そういったリアルな活動を記録し、いつ誰が見てもシェアできるようにするためです。

2021年2月にようやく佐久市への移住が実現し、いよいよ本格的にこのブログを活用できる時がきました。
今まではあくまでも外部(佐久市外)から佐久市をみたり、聞いたり、考えたりしていました。
それが実際に佐久市民となり、日々の生活・仕事をするようになりました。

こうしたリアルな体験や何気ないことを随時アウトプットしていきたいと考えています。

自己紹介と移住までの経緯

前置きが長くなりましたが、ここから私の自己紹介を大きく2つに分けてご紹介します。

1、出身地と住まいの足跡

改めまして、呉(くれ)と申します。

生まれは平成元年。出身地は東京都杉並区。
幼稚園の時に神奈川県相模原市に転居しました。
その後、大学を卒業して社会人1年目までは相模原市の実家暮らし。
社会人2年目になった23歳の時に実家を離れ、同じ神奈川県川崎市に転居しました。
川崎市内で3回引っ越しをしまして、2020年に妻の里帰り出産をサポートするため東京都へ引っ越し。

そして子育ても少しですが落ち着いた2021年2月に長野県佐久市へ移住しました。
佐久市では普通の賃貸アパートに住んでいます。

このように、これまでの人生はほとんど神奈川県で過ごしてきましたが、母の実家が群馬県南部の山奥にあります。
近くのコンビニまでは車で30分、最寄り駅まで60分くらい掛かる、いわゆる「田舎」です。
ここには夏季休暇や年末年始には帰省をしており、一時期小さい頃には祖父母に預かってもらい生活していました。

そのため田舎暮らし自体に抵抗はなく、それも佐久市への移住に前向きになれた理由でもあります。

とはいえ、私のルーツ(血縁・地縁)において長野県佐久市は関係していません。

2、地縁のはじまり

私は高校・大学と横浜市にある私立大学に通っていました。
高校は大学へ進学できる付属校でしたので、高校・大学と7年間を通じて同じ体育会馬術部に所属していました。

まさに「馬」に捧げた7年間でしたが、私が大学2年生の時(2009年)、毎年学校の夏休み期間を利用して実施する「夏合宿」の合宿地が長野県佐久市の乗馬クラブ(望月馬事公苑さん)になったのです。

それまで長野県に行った記憶は幼少期に軽井沢に行ったことがあるような無いような…そんなレベルです。
部活の合宿で訪れるまで、佐久市という地域そのものすら知りませんでした

こうして部活の合宿で訪れたことをきっかけに佐久市(特に望月地域)との地縁がはじまりました。

佐久の街並み、壮大な景色、移り変わる自然と気候、そして現地の温かい人たち。
こうした多くの出会いを通じて感じたことは私にとって今まで感じたことがない感覚でした。

まるで佐久という土地に恋に落ちたようでした。

もちろん運動部の合宿ですので楽しいことばかりではなく、むしろ大変なことがたくさんありました。
ただ少なくとも佐久の自然や現地の人たちの温かさに触れ、とても充実した合宿だったことは間違いありません。

結局、大学在学中の2年生~4年生までの3年間(3回)、馬術部の合宿地として訪れました。
また、卒業した後も一緒に卒業した同期の仲間や、先に卒業した先輩たちと予定を合わせ、毎年のように遊びに行きました。
一時期ですが卒業後に馬術部のコーチをしていたこともあったので、コーチとして後輩の合宿に合わせて佐久を訪れることもありました。

いつ行っても温かく迎えてくれる乗馬クラブや現地の皆さん、都会では味わえない広大な自然、ゆったりと流れる時間はどれも貴重なものでした。

長野県佐久市へ移住する想い

そうこうしているうちに、段々と佐久市に住みたいという感覚が芽生えてきます。

基本的には夏に訪れていたので、夏の佐久は本当に過ごしやすいところです。
昼間は流石に暑いですが、朝晩は涼しく寝苦しいことはありません。
一方で、冬の寒さが厳しいことも頭にあったので、何度か冬の寒い時期に訪れることもしました。

少しずつ佐久市へ移住する心の準備はしていったものの、現実的に仕事と生活の兼ね合いで悩ましい時期が続いていました

佐久市への移住を決断!

しかし、悩んでばかりもいられません。

もはや「移住したい」ではなく「移住は確実にする」という想いは固まっていました。
そうなれば、どこかで決めなければいけません。

そして妻ともよく相談した上で、意思決定という意味では2020年10月下旬に、実際の引っ越しという意味では2021年2月に佐久市へ移住することを決めました。

では、なぜ佐久市への移住を決断するに至ったか、その理由をきっかけ・仕事・生活・子育ての4点に分けてご紹介します。

きっかけ

遡ること2020年8月下旬頃。
新型コロナウイルスが少しだけ落ち着いてきて「動きに動けない状況」がやや緩和された雰囲気を感じる中、再び佐久市への移住を検討するための情報収集をしていました。

すると移住スカウトサービスSMOUTに面白そうな企画が公開されていました。
それが『コロナ禍の今こそ”ローカルシフト”!~8割東京、2割地域の生き方を考えるワーケーション合宿』でした。

日程的にも予算的にも参加ができそうだったので、妻に相談して参加を決定。
合宿はとても充実した内容でした。
とてもここでは書ききれないので、興味のある方は詳細記事をご覧ください。(下に載せておきます)

こうして、いままでの想いとワーケーション合宿を通じて、2020年10月下旬に佐久市への移住を決断しました。

仕事

仕事面では、現在会社経営をしています。ほとんど個人規模の小さな会社です。
主な事業内容は輸入品の販売とWEBサイト・ECサイトの構築運営支援。
特にインターネットを活用した通信販売をメインにしていますので場所はあまり選ばない仕事と言えます。

そういった意味で、仕事における移住のハードルはそこまで高くありませんでした。

とはいえ、妻は東京の会社に就職しています。
そして私も個人規模とはいえ、私一人で会社が成り立っているわけではありません。
仕事の付き合いやコミュニティでの情報収集など、東京を中心とした首都圏の恩恵が強い状況でした。

ただ、決断をしてからは、いかに「移住しても仕事の支障がないようにするか」に意識を集中。
実際に引っ越し前後はややバタバタしましたが、比較的すぐに仕事も再開することができました。

生活

生活面では2020年、嬉しいことと残念なことがありました。

嬉しいことは8月に長男が誕生したこと。
残念なことはご存知の通り新型コロナウイルスが蔓延してしまったこと。

どちらの理由もあって動くに動けない状況となっていましたが、10月のワーケーション合宿で自分たちの「生活」に対しても真剣に向き合い、見直すきっかけとなりました。

もともと妻も移住には前向き。
また里帰りとはいえ東京に住んでいたこともあり、新型コロナの影響はもちろん「住みやすさ」も考えた上で、のびのびと暮らせる佐久市への移住はプラス要素しかないと判断して決断に至りました。

子育て

どの理由も同じくらいの優先順位だったので順番は付けられませんが、前述の通り長男が誕生したことで「子育て」も大きな要素になったことは間違いありません。

具体的なところで保育園をどうするか?
これが最も喫緊の課題でした。

移住前に住んでいた東京の保育園に入れるか?
いや、それはありえない。

ということで移住を決断する理由となりました。

保育園だけでなく、佐久で暮らすことは「田舎暮らし」でのびのびと子育てしたいという想いも強くなりました。

とはいえ、佐久市はいうほど「田舎」でもありません(笑)
特に佐久平駅周辺は商業施設が充実しており、なおかつ土地が広いので遊ぶところもたくさんあります。

もう少し子供が大きくなったら「おでかけ」できる魅力的な場所がたくさんあります。

よく「子育て移住」なんて言葉を聞いたり見たりします。
私たちの場合は子育てが全てではないので子育て移住ではありませんが、それも大きな理由の1つであることは間違いありません。

最後に

私が「なんとなく」佐久市に住みたいなと思った潜在的意識は、恐らく学生時代からあったのだと思います。
そう考えると約10年越しの移住実現です。

この10年はちょうど、ほとんどが20代。
21歳までは体育会馬術部で毎日必死になって部活に取り組み、
22歳の時に就職してからは新しい環境で多くのことを経験して、
26歳の時に独立・起業してからは更なる挑戦と失敗、苦労の連続。
30歳になって少しだけ希望が見えてきた頃に新型コロナ。

自分で言うのも変ですが、本当にいろいろなことを経験した20代の10年間でした。
その間に佐久市へ移住したいという想いが強くなった時期もあれば、それどころではなく仕事に忙殺されていたこともありました。

新型コロナも私にとって「生き方」を考えさせられる大きな要素でした。

そして何と言っても子どもができたことで「子育て」という要素も。

本当に様々な要素と理由があって移住を決断・実現したといえます。

そしてもちろん、移住がゴールではありません。

仕事ではオンラインがメインとはいえ、もっと地域に溶け込んで「オフライン」の仕事にも関わっていきたいと考えています。

生活では子育てがメインになるものの、私たち親自身も心身ともに健康ではないと子育てできないと考えています。
そういった意味で規則正しい生活だったり、地産地消で美味しいものを楽しんだり、仕事だけじゃない人間関係だったり、すべてをひっくるめて「楽しんで生きていきたい」と考えています。

そして、このブログやYouTubeチャンネルなども活用して、微力ながら佐久市での暮らしや地方移住に関して発信していきます。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後ともよろしくお願いいたします。

参考リンク