地方移住によって養いたい「生きる力」とは?

前回の記事で首都圏から地方移住を決めた理由をアウトプットしました。

私の場合は8つになりましたが、人によって様々だと思います。
もちろん地方移住そのものが正解でも何でもなく、首都圏に住むメリットや目的もあるでしょう。
大事なことは「自分自身がどう生きていきたいか」に尽きると考えています。

そういった意味で、私自身も地方移住を決めた理由を整理していく中でもう少し深掘りしたいと感じたのが「生きる力を養うこと」です。
前回の記事で5番目の理由として挙げましたが、執筆の都合上フワッとした表現にとどまりました。

そこで今回は私が思う「生きる力」についてアウトプットしていきたいと思います。

生きる力の中身

生きる力は生命力とも言えます。
そこには逞しさや根気強さといった要素もあるでしょう。

私たちはよく動物や植物に対して「生命力があるな~」という使い方をしますが、ヒトに対しては「あの人は生きる力があるよね」といった使い方が一般的な気がしていて、私も「生きる力」と表現しました。

余談ですが、国内で「生きる力」というフレーズを積極的に使っているのは子どもの教育、特に文部科学省でした。
文部科学省が定義する生きる力とは「知・徳・体のバランスのとれた力のこと」だそうです。

変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな人間性、健康・体力の知・徳・体をバランスよく育てることが大切です

このようにも記載しています。
これは保護者向けのパンフレットで文部科学省が掲げる学校教育の方針をまとめたものだと思います。

確かにその通りで素晴らしい言葉、定義だと感じます。

しかし、果たしてそれは子どもの教育だけでいいのでしょうか?
私たち大人とて、決して疎かにしてはいけない力ではないかと思います。

では、前置きはこのくらいにして実際にどんな要素が生きる力になるのか。

そして地方移住することでなぜ生きる力が養われると考えたのかを整理していきます。

補足

私は長野県佐久市への移住を決めたので佐久市での生き方を前提に記載していきます

体力がつく

まず何と言っても地方での暮らしで必要な要素は体力だと考えています。

私自身、新型コロナウイルスの影響があることも大きいですが、いま都会にいる暮らしていて外出がめっきり減りました。
正直なところコロナ前からそうだったので、コロナ禍の暮らし自体に抵抗はありません。

しかし、地方移住することで現在に比べて確実に外へ出て歩いたり、何かの作業をする機会が増えると予想しています。
むしろ今の暮らしは本当に運動不足で20代の頃より体力が落ちていることを痛感するくらいです。

体力、いわば健康な身体は全ての人に共通して重要な要素です。
しかし都会で暮らしていると移動距離が短かったり、楽だったり、便利さがアダとなって体力が落ちてしまうように思います。

地方は確かに不便なことも多いですが、その不便さが人間本来の生き方であり、もっと言えば動物的な生き方です。
体力が付くことによって、出来ることや行動範囲も広がるでしょう。

個人的な話になりますが、私はジムのランニングマシンで走るのが嫌いです。
愛好家の方には申し訳ないですが、何となく「マウスの実験で走り続けている」ような感覚になるからです。
景色も変わらないし、せっかく何キロも走ったところで移動もしません。

せっかく走ったり歩くなら景色を楽しみ気候を感じ、その結果として移動していることが重要だと考えています。

わざわざ運動しなくても日々の生活で体力が付けば一石二鳥ではないでしょうか。

四季を感じて対応する

地方移住の魅力は四季を感じる機会が増えること。

しかし、ただ感じるだけではなく、生活する以上それなりに対応する必要もあります。

長野県佐久市はそれなりに降雪がある地域ですので、寒いシーズンは雪や路面凍結への対応が必要不可欠です。
逆に夏はカラッとしていて過ごしやすく、朝晩は涼しいのでエアコンが不要。

こうした四季折々の気候を感じながら着るもの、食べるもの、住む場所などを気候に合わせて対応していくことで生きる力が養われるのではないかと考えています。

感性が磨かれる

四季を感じることと似ていますが、精神的な余裕が生まれることで感性が磨かれると考えています。

これはちょっと抽象的な表現になりますが、無機質な都会で暮らすより様々な変化がある地方で暮らす方が人間としての深みが増す気がします。

なぜそう思うか?

それは今現在、すでに地方で暮らす人たちを見て率直にそう感じるからです。

佐久にいる知り合いの方々もそうですし、田舎で暮らす祖母やその周りの方々などの生き方を見ていると本当に素敵だなと思いますし、豊かな暮らしと感覚を持っていると感じます。

恐らく都会で暮らしていては得ることができない要素があるからこそ感性が磨かれていくのではないでしょうか。

経験値が増える

いかに多くの経験を積むことができるか。

これは私自身が生きていく中で重視している要素です。

この点は都会か地方かというより、その人自身の生き方や考え方にもよるでしょう。
なるべくチャレンジはせず、安定を求める人にはあまり理解されない要素かもしれません。

それはそれでいいですが、私は生きていく中で1つでも多くの経験をしたい。
だからこそ地方で暮らすことは都会では経験できないことがたくさんあると考えています。

濃い人間関係が増える

私は「類は友を呼ぶ」は本当だと考えています。

現時点では仕事面でそう感じることが多々あります。
分かりやすいところだと独立して個人事業主になってからは、同じような自営業をしている方や経営者との関りが多くなりました。

サラリーマンでそれなりの給料をもらいつつ、週末は居酒屋で会社や上司の愚痴をこぼすような人たちとの付き合いは無くなりました。

同じ土地で同じ時間を共有するだけで人間関係が濃いものになっていきます。
価値観の近い人とは更に深い付き合いになっていきます。
そして自分自身が挑戦し続ければするほど、周りの人たちも応援してくれたり、あるいは挑戦する人を応援するようになります。

こうした相乗効果は計り知れないです。

広く浅くの付き合いではなく、狭くても深い人間関係が増えていくことで自分自身の生きる力も養われていくと考えています。

生涯現役で動き続ける

生活と仕事の境目が無くなることで「生涯現役」で動き続けることができると考えています。

私の場合は既にそうですが、自営業や会社経営をしている人なら、より生活と仕事の境目が無く生涯現役を貫いている人が多いように感じます。

そもそも昔の人の多くは自営業でした。
それもいくつか仕事を掛け持ちしていたり、例えば同じ畑で別の作物をつくる二毛作など使える資源を有効活用していました。

いつしか便利な世の中になり、会社という組織が誕生して自発的な働き方から受動的な働き方に変わったように思います。

サラリーマンが悪いという意味ではありませんが、誰かに雇われている以上、いくら自分が生涯現役でいたいと思っても雇用が無い可能性があります。

自営業や経営者は「仕事を作る・生み出すプロ」だと思っています。
自分で仕事を作ったり生み出すことができれば生涯現役は可能です。

むしろ経験を積めば積むほど、やりたいことも増えていくのではないでしょうか。

私もそんな歳の取り方をして生きる力を養っていきたいです。

地方は生きる力を養う宝庫

繰り返しますが暮らす場所や働き方、生活スタイルによって環境は異なります。

今回ピックアップした要素は都会でも可能でしょう。
ただ私は地方移住を選んだというだけの話です。

ここで言いたいのは場所がどうとかではなく、生きる力を養うことは変化の激しい現代社会を生き抜く重要な力だと考えていることです。

ただ、その中でも地方での暮らしは生きる力を養う宝庫だとも考えています。
意識しなくても暮らしの中で生きる力が養えるのであれば、これほどありがたいことはありません。
もちろん、その分だけ不便さや苦労も増えることにはなりますが、それも含めて私の生き方になるのかなと思っています。

今後は実際に行動したこと、対応したことなど具体的な事例をアウトプットしていきたいです。

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